ご挨拶 / プロフィール

さたけ 彰信(さたけ あきのぶ)

誕生日:昭和36年2月22日

系譜 ・生い立ち ・応援団時代
選対参謀時代 ・激闘

ご挨拶

はじめまして、私は令和5年4月9日に執行されます県議会議員選挙に、ご当地、南11区(さいたま市緑区)から立候補を予定しております、さたけ彰信と申します。ご案内のように私は当該区の出身でなく学校、職場など一切、接点をもっておりません。言わば、よそ者の私が何故、縁もゆかりもない、この地域から県政に挑むことになったのか動機につきまして縷々ご説明申しあげます。

私が通学していた東京都杉並区立高井戸第2小学校ではベビーブーム期を反映して一学年48名全校生徒は1400名を数えるマンモス校でした。その中で両親が離婚、苗字が「伊藤」から「佐竹」に変わり忽ち好奇の対象となりました。何しろ全校生徒の中で離婚、姓名変更したのは私だけでしたので無理からぬことだったのかもしれません。
私は父が三井物産のケニアの事業所から送ってきた絵葉書を思い出し「父がアフリカでライオンに食べられちゃった」とごまかし努めて明るく振舞いました。他方で生活も一変しました。それまで多数の使用人に囲まれ何不自由なく栄華な生活を送ってまいりました母は離婚を機に実家に頼らず女手ひとつで私を育てることを決意、身につけていた語学を頼りに私の同級生を対象として英語塾を開講、生計を立てることを決意、私は首から合鍵を下げ登校するようになりました。学校で特異な存在になりつつあった私に対し母は人生修行をさせようと小学校3年時には外交交渉の裏側で根回し役をされていた日米協会会長元衆議院議員の笠井重治先生の下に書生見習いとして預けられました。笠井先生は若くして渡米、シカゴ大学に学ばれ弁論大会で「太平洋の優越」と題して講演、雄弁最優秀弁論賞を授与された程の語学が秀一な方でありました。また福田赳夫首相を始め、歴代総理や米国大統領、駐日大使の他、多数の政財界人と交流がありました。当時の笠井邸には応接間が3部屋あり連日、来客で、ごったがえしお手伝いさんが茶菓を、お盆に乗せて行き来され邸内は高貴な紅茶の香りに包まれておりました。私の、お役目は門から玄関までの、敷石に水を撒くことと広大な庭園の草刈りでした。夜、お客様が、お帰りになり静寂さを取り戻した邸内北側の火の気のない厨房の片隅で丸椅子に座って先生の横で、ささやかな夜ごはんを頂きました。外面上の華やかとは裏腹、つつましい現実を目の当たりに致しました。

その後、全寮制高校に学び卒業と同時に和田耕作先生に師事、政治だけでなく人としての生き方につき学ばせて頂きました。和田先生は代議士会長の要職にあられ時の総理と渡り合うなど外面的には華やかな活動をされておられましたが、私生活では他事を優先、「公僕」としての政治家の在り様につき薫陶を授かりました。やがて師と敬い父親のように、お慕いしていた先生が他界され江戸時代の浪人のように流浪していた時、学生時代の先輩に声をかけられ連敗中だった現県議の選対本部長として当選に向け尽力致しました。

しかし策定した公約を何ひとつ実行されない県議の姿勢に悲憤を覚え県政に挑戦するも惨敗、捲土重来を期し前回、県政に挑戦しようとするも直前に椎間板ヘルニアを発症、無念の不戦敗となりました。暫く政治の道から遠ざかっておりましたが、空前の物価高に庶民が生活苦に追われるなか「私設美術館」を創設、会社の隣地を取得、自宅をリフォームされるなど事業・家族の繁栄を謳歌する姿に憤慨、先人から受けた教えを守り県政を市民の皆様の手に取り戻すべく県議選に出馬することを決意致しました。

さたけ彰信は人口が急増する緑区にあって地域の代表として、しがらみに縛られることなく、皆様に寄り添い「誰もが笑顔で暮らせる街」を目指し懸命に働いて参ります。私を皆様の御用聞きとして、ご活用ください。絶大なる、ご後援をお願い致します。

変遷

師と敬い父のように慕った先生が亡くなり所属した政党が解散。

支援団体も消滅。さながら江戸時代の浪人の如く流浪していた時に学生時代の先輩に請われ県会候補の選対本部長として当選に導いた。

爾来8年、 公約をまるで守らない県議の姿勢に疑問を持ち県議選に挑戦するも惨敗。4年後、捲土重来を期すも直前に椎間板ヘルニアを発症、断念。政界から遠ざかる。

還暦を過ぎ私が学んだ政治の世界とは、およそかけ離れた私業家族の繁栄が政治の原点と公言する県議の姿勢に強い疑念を抱き「良心に活きる!」を掲げ再び挑む。

経歴

昭和36年2月

東京・板橋区で出生

昭和54年3月

学校法人広島三育学院卒業

昭和54年4月

衆議院議員 和田耕作秘書

平成6年8月

学校法人広島三育学院同窓会会長

平成18年7月4日

和田耕作先生逝去

平成19年1月

高橋まさお選挙対策本部長

平成19年4月

県議会議員高橋まさお秘書役

平成26年

学校法人広島三育学院同窓会副会長

平成28年

一般社団法人三育育英会事業本部長

平成29年

株式会社躍動代表取締役

系譜

佐竹作太郎

伊丹二郎

佐竹次郎

佐竹直子

履歴

和田先生

秘書時代

街頭演説 -三室事務所前にて-

Twitter -さたけ 彰信-

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